2023.11.2. 河内長野世話人会とのウオーク&懇親会を九度山で行った。
当日和歌山4名、河内長野6名、事務局2名、合計12名が南海高野線九度山駅に10時過ぎ集合。
河内長野世話人の森さんの案内で、真田昌幸・幸村父子が関ヶ原合戦後配流された九度山の探索に出かけた。
最初に旧萱野家(大石順教尼の記念館)を訪れた。大石順教尼のビデをを見せていただいた後館内に展示されている書画を鑑賞した。
大石順教尼(九度山町教育委員会パンフレットより抜粋)
明治21年大阪道頓堀で生まれた。17才の時に養父の狂乱により両腕を切り落とされるという災難に遭遇する。ある時カナリアがくちばしで雛に餌を与えている姿を見て、両手が無くても口で筆を使えることに気づく。それをきっかけに寸暇を惜しんで筆の練習を重ねる。一方、古典をはじめ和歌、絵画の道を究めるなど修行に全霊を注ぐと共に、仏道と身体障碍者のの自立教育の推進を志した。
その後、知人が取り持つ縁で菅野家と親交を深めることとなり、夫妻が菩提親となり高野山天徳院で出家得度し、法名を「順教」とあらためる。
出家後もしばしば萱野家に逗留するなど親交が続き、その際製作された書画の類が萱野家に多く残されている。
萱野家
一路「道の駅柿の里九度山」へ向かう途中見つけた米金(九度山焼)
高さ2メートル余り、大きな胸像
その後道の駅で昼食をとり慈尊院へ向かった。慈尊院
空海が高野山で必要な物資を調達する政所として作られました。後に大師の母君が晩年移り住み「女人高野」と呼ばれています。
帰路真田庵に寄りました。
真田古墳(真田の抜け穴伝説)
真田幸村が草庵を結んだゆかりの地で、この古墳は「真田の抜け穴」と伝承されています。
帰りは九度山駅14時11分発の電車に乗り夕方早くに帰宅出来ました。今回も距離5km程度で、のんびり観光と交流ができました( ^)o(^ )
参加者
全員写真(慈尊院前で)が逆光で見ずらく残念でした。